「政局」好みの政治家へ贈ることば

 一昨日、衆議院で消費増税関連法案の採決が行われ、民主、自民、公明等の賛成で可決されたが、反対96の内、72が民主の反対・欠席・棄権であった。野党は結束して賛成か、反対だったが与党の民主は割れた。マスコミは民主のこの事態を予想して「何人造反するか」と連日大報道。それに誘導されて国民も「造反劇」に見入った。
 政党と言えども党員すべてが同一意見の持ち主ではないだろう。しかし、右か左のいずれかに決めなければならないときには党の方針が個人のそれを優先するというのが常識だろうが、民主はそれができなかった。それぞれ言い分があって議論したものの、結果的に党としての体をなしていないことを露呈したのである。
 ギリシアやスペイン、イタリアなどEU諸国が経済的破綻に追い込まれ、国が危機に瀕しているというニュースを国民は知っている。我が国も決して「対岸の火事」では済まされない状況になりつつあることも・・・。莫大な赤字国債がすべてを物語っている。そして、まさに想定外の3.11大震災に見舞われた。
 野田首相はこうした我が国の現況を見通して、国民に消費税という形で負担をしてもらい、それを社会保障に充てる、と訴えた。英国は日本のこの取り組みを高く評価している。日本在住の国際ジャーナリストも国際的・将来的視野からやはり評価している。日本は経済的にも世界各国に対して大きな影響力を持っているので、ギリシアやスペインのようにならないことを願っているのである。
 しかし、当の日本国内では小沢さん始め多くの民主党議員が「マニフェスト違反」ということで反対した。国際的な動きが激しい時代に何年か前のマニフェストにこだわるのはどうか。日本の国情が変わってきていることだし・・・。そうした政策論ならまだしも「政局」として捉えられている向きもある。小沢さんゆえに。
 小沢さんに限らず政治家はすべて我が身を賭しても、国を守り、国民の生命・財産を守る政治を国民から託されている。政治家はそのことは自明のはずであるが、もともとしっかりした理念・信念がないと「政局」で名を馳せたり、しがらみや権力争いなどで身を立てようとする。単なる、政局好みの政治家に多い。
 ここで、古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの政治に対する考えを世の政治家に贈ることにしよう、と。
 「善を追求する集団に最も貢献する者が、政治的統治における役割やポリスにおける名声を得るべき。孤立している者、政治的共同体の便益を分かち合えない者、また、自足していて分かち合う必要がない者は、獣か神であるに違いない」
 そして、「善い人格を形成すること。市民たちの美徳を高めること」すなわち、「善き生をもたらすもの」と説く。アリストテレスは、政治の目的として、魂とか善とか美徳といったような精神的・倫理的な要素が極めて大事であるという考え方である。政局とは無縁で、崇高だ。
 どのような政治家を選ぶかは我々国民の側の問題だ。我が国を政治的・経済的・文化的にもっともっと成熟させないとそのツケは我々国民に降りかかってくるから怖い。