軽井沢・追分宿へ

 仲間4人で、暑さを逃れて軽井沢・信濃追分へ。宿は、江戸時代中仙道六十九次の二十番目の宿場であった追分宿に近いので、早速、散歩がてら出向くと、旧中仙道沿いに、追分宿郷土館、追分一里塚、旧脇本陣油屋、堀辰雄文学記念館などがある。その付近は標高1003mの国道18号線と交差しており、当時は、北国道(北陸道)の分岐点だった。
 資料によると、天保14年(1843)の追分宿の宿内数は103軒(その内、本陣1、脇本陣2、旅籠35軒)で、人口は712人。厳しい掟の「定」から、当時をしのぶ。油屋は堀辰雄の小説に旅籠のモデルとして登場。旧中仙道は、きれいに舗装されて当時の面影はないが、道は狭く、曲がりくねっていて、この沿道に旅籠、茶屋、商店などがあったのだろうなぁ。

この奥に旧本陣があった          なかなかの「定」なり             

きれいな舗道の旧中仙道、土産店が並ぶ   追分宿には堀辰雄立原道造も往来していた
 この辺り、今は別荘やホテル、土産物店、レストラン等があり、少し行くと大型スーパーマーケットもあり、便利。国道から林間に入ると夜は漆黒の闇で、涼風が心地いい。まだ、夏休みで軽井沢には相当数の避暑客が来ている。スーパーや店はどこも家族連れや若者でにぎやかだ。景気がいいのかなぁ。
 20日の朝、散歩に行くと小学生の集団登校に出会った。聞いてみると、その日から2学期が始まるとのこと。車も歩行者も子どもたちを温かく見送る。この子どもたちの小学校の児童数は290人と、教えてくれた。そう言えば、ここは萩やキキョウ、おみなえしなど秋の七草がでそろい、もう秋。冬に備え、学校は早く始業するのだった。東京中心思考を抜け出せないでいる。

 滞在中に、北軽井沢から高崎市へ入ってすぐの登山口から浅間隠山(あさまかくしやま、1757m)へ登頂。群馬県の中之条や東吾妻方面から見ると浅間山を隠してしまうことから命名。標高差380m、2、1km の道程を2時間で登り、真正面に浅間山(2568m)を見るも雲に隠され、かすかに。久しぶりの登山。4人で声を掛け合って、ところどころ真剣に、また、緊張したりで完走。リーダーはじめ仲間たちに感謝あるのみだ。

 熊ささや針葉樹、白樺の山道        リーダーと握手。後方が浅間山 

 仲間たちと束の間の避暑行。残念ながら、日中は軽井沢も暑かったものの、こちらの比ではなく「ぜいたく」な旅であった。