お盆風景

 今年も盆(13日〜15日)が終わった。この時期は四国や中国地方は台風11号の影響で大雨が続き、避難勧告も出て、大きな被害がもたらされた。一方、こちら関東地方は連日猛暑に見舞われ、野菜や草花は日焼けして不作になる有り様。しかし、盆行事はいつものように行われた。
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木陰で暑さに堪えて生き延びているベコニアたちと盆の時期に欠かせないアサガオ
 この地域では、盆入りの13日はほとんどの家庭は早朝にお仏さまをお迎えに菩提寺に向かう。中には、夕刻にお迎えする家庭もある。3日間、お仏さまとともに過ごす。悲しみを新たにする人、ただひたすらにご冥福を祈る人、死とは何か、を考える人、そして、自分はどんな死を迎えるべきか、と思い巡らす人。それぞれの盆を過ごし、お仏さまを15日(または16日)夕刻に菩提寺へ送っていく。

15日夕刻の菩提寺。新たに花が手向けられ、提灯の灯りが盆の風景に最もふさわしい。 
 きょうは菩提寺で「新盆追弔会」が執り行われ、世話人の一人として参列した。追弔読経のあと二人の住職の法話があったが内容はほぼ同じであった。「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられる」についてであった。
 盆は亡き人を偲び、冥福を祈り、供養するためにある。しかし、仏教には、それを乗り超えて、「亡き人を案ずることよりも、亡き人に案ぜられてはいけない」という教えがある。亡き人は、我々が生き生きと元気に楽しく、意欲的に生きていてくれるように案じている、というのである。生きている自分が幸せであることが亡き人の本当の供養なのである、という。
 そして、仏教は、自分はどこから来て(過去)、どこへ行こうとしているのか(未来)、そして、自分(自己)とは何者なのか(現在)を問うている。究極は「自己とは何か」を極めることだ。盆に生まれ故郷へ帰省し、墓参をするのも、お仏さまと3日間共にするのも、「自己とは何か」を解き明かすヒントになるのではないか。亡き人に案ぜられないためにも、自己を知り、より良い生き方を探っていくことである。このような法話であった。 

 夜は、子ども会主催の盆踊りがあった。子どもたちがたくさん集まって、大人に交じって踊り、焼きそばやかき氷で盆のいい思い出に。まさに盆風景そのものである。