小椋佳コンサート

 一昨日4年ぶりに小椋佳コンサートへ。「72歳になり、一曲歌うだけでも疲れる」と言いながら、休憩なしで2時間の精力的な演奏会に拍手が鳴り止まなかった。歌と語りと演奏仲間との自作小芝居など贅沢なプログラムで、確かにお疲れの様子だった。しかし、最後まで一千人余の聴衆を惹き付けていたのは、愛と、生きることと、美意識という格調高いテーマであった。
 40数年の間に約2000曲も作詞作曲しているという。愛燦燦と、あなたが美しいのは、愛しき日々、俺たちの旅、傾いた道しるべ、木戸をあけて、恋、してしまうもの、この汽車は、しおさいの詩、少しは私に愛をください、泣かせて、夢芝居、めまい、山河・・・などなど。私が好きな曲だけでもこんなにある。
 2014年9月、NHKホールで「小椋佳生前コンサート」を開き、4日間で100曲歌った。「生前コンサート」とは思い切った企画であるが、自ら胃がんという大病と闘いながら生死をさまよう時代もあっただけに、支えてくれたファンや友人、知己、家族への感謝と邂逅を顧みながらのコンサートであったに違いない。
 まだまだ「生前」などという言葉を使う年齢ではないのに、敢えて誰もが通る道なのだからと開き直っているところが彼らしい。彼は、銀行を辞めてから、東大に学士入学し、大学院まで進み、哲学、政治、思想文化を学んでいるので、人間の生き方についてより深く重みを悟っているのかも知れない。
 今次コンサートフィナーレを前にして、「少し高みの話をさせてください」と切り出した。「幸せって何ですか。それは、たくさんの欲望が叶えられた時である、という考え方があります。食欲、運動欲、知識欲、愛欲、睡眠欲、権力欲、名誉欲、金欲、出世欲など。私はそれもそうであると思いますが、今は、美、即ち、美しいものを追究していくことに幸せを求めています。それを詠ったのが『山河』です」と結び、「山河」を心の底から声高らかに歌い上げた。
 哲学的に美とは、知覚、感覚、情感を刺激して内的快感を引きおこすもので、真や善と並ぶ最高価値概念の一つである、とされている。山河は、作者・小椋佳の人生を投影しているものであるが、崇高な美意識に拠る遠大な人生観に圧倒された。
 
 人は皆、山河に生まれ、抱かれ、挑み、人は皆、山河を信じ、和み、愛す。そこに命をつなぎ、命を刻む そして終(つい)には山河に還る。顧みて、恥じることない足跡を 山に残したろうか 永遠の水面の光 増す夢を河に浮かべたろうか 愛する人の瞳(め)に 愛する人の瞳に 俺の山河は美しいかと。美しいかと。
 歳月は心に積まれ 山と映り 歳月は心に流れ 河を描く。そこに積まれる時と、流れる時と、人は誰もが山河を宿す。ふと思う、悔いひとつなく悦びの山を築けたろうか くしゃくしゃに嬉し泣きする かげりない河を抱けたろうか 愛する人の瞳に 愛する人の瞳に 俺の山河は美しいかと。(『山河』より)