読書アラカルト(19の1)「文士の風貌」井伏鱒二著  福武文庫

 井伏鱒二は1898年(明治31年)、広島県生まれ。ユーモラスで飄々とした文体で、人間の滑稽さや悲哀を浮き彫りにした作品が多い。「ジョン万次郎漂流記」(1937年)で直木賞、「本日休診」(1950年)ほかで読売文学賞、「黒い雨」(1966年)で野間文芸賞を受賞。1966年(昭和41年)文化勲章受賞。1993年(平成5年)没。享年93。
 本書は、その著者がいわゆる"文士"達の風貌を折々に活写したものである。有島生馬、徳富蘆花正宗白鳥夏目漱石森鴎外など56人のそうそうたる文士達の普段の姿や著者との対話などが綴られている。当時の社会の風習や駆け出し時代の文士達の実情が手に取るように読み取れる。初版は1993年6月10日。その中から幾人かの「文士の風貌」を要約すると・・・。
 志賀直哉(1883~1971) 年譜で見ると、志賀さんの尾道生活は大正元年10月から翌年11月までとなっている。そのころ私は、尾道に近い福山中学校の1年生で寄宿舎にいたが、志賀さんの名前も「白樺」のことも知らなかった。私たちの中学校では、校則として小説を読むことを禁じられ、寄宿舎生が小説を持っていると1週間の停学になった。新しい作家のことなど知るわけがない。戦後、志賀さんの旧居の近くに「暗夜行路の碑」が建っているということで尾道を訪ねて探したが見つからず、近くにいた尋常1年生くらいの子供に訊くと「志賀直哉だろう。こっちだ、こっちだ」と子供は先に立って駆けだした。昭和30年頃ではなかったかと思う。
 徳富蘆花(1868~1927) 蘆花の代表作「不如帰」を知らない人は殆んど稀であろう。そして作中人物のロマンスを聞いたことのない人は更に稀であろう。遠い片田舎の老婆達でさえも、このロマンスを思い出せば顔が赤くなると告白し、しかし内心は老いたる心臓を激しくおどらすのである。しかも彼女達は、美男子の青年士官である川島武男は実在の人物に違いないと信じて、機会があったら一度その美男子を拝顔しようと念じているものである。もし、私達が、その老婆を説き伏せて、川島武男は実在の人物でないことやたとえ実在の人物であったにしても今は最早青年士官ではなく老軍人のよぼよぼであろうと了解させるには、よほどの困難と努力が必要である。
 堀 辰雄(1904~1953) 堀君にはもう10年以上もご無沙汰して、ただ風のたよりにきくたびに病状を想像するだけであった。たぶん堀君は闘病に真一念で打ち込んでいたことだろう。いつか徳田秋声氏の追悼会へ出かけるとき、電車のなかで何年ぶりかに堀君に会った。吊革につかまるのが苦しそうに見えた。それでも近況をきくと、このごろ大変調子がよくて東京に来ているので、今日は徳田さんの追悼会へ行くところだという返事であった。私は連れの太宰君を堀君に紹介して、青山斎場まで3人で同道した。帰りも一緒の道を帰って、堀君は阿佐ヶ谷の駅で電車を降りた。このときの「さよなら」が最後のそれになった。
 近々、あと何人か取り上げてみたい。

文士の風貌 (福武文庫)

文士の風貌 (福武文庫)