あさがお
あさがお(朝顔)〜夏の朝、じょうご形の美しい花を開く一年生のつる草。観賞用として広く栽培され、品種が多い。古くはキキョウを指した。ヒルガオ科 <新明解国語辞典より>
我が家の小庭の「あさがお」が先週末より咲き始めました。種を蒔いたのが遅かった上に、選別しなかったのでつるが多く、開花も大変遅れてしまいました。近年は温暖化と相俟ってほとんどの花の開花が早くなっていますが、「あさがお」もここ関東地方では7月頃から開花しています。9月の今頃はもう見かけません。
私は、「あさがお」が子どもの頃から各家庭の庭や道端に自生しているのを見て育ちました。花弁が大きく、濃紺の花びらが印象的です。まさに夏の風物詩の一つになっています。
拙宅の「あさがお」をご覧いただければ幸いです。
つげに絡ませました。ご覧の通り花弁は小ぶりです。営養不足!
あさがおは、夏の「風物詩」の一つに なって久しい
スキー指導員検定に挑戦 <回想3>
これは2014年2月21〜22日 新潟県内スキー場で行われた、SAJスキー指導員検定会のレポートです。なお、準指導員検定には39歳の時、合格しています。
検定会は毎年この時期に全国5会場で全く同じ規定に基づいて開催されます。私は新潟県内会場の検定会に臨みました。初日午前は学科試験(90分)があり、午後から翌日一杯実技検定という日程で、受検者はおよそ120名。
実技検定最初の種目、プルークボーゲンが始まる頃、よく晴れていた天候は急変して大雪に。冬山ではこういうことは十分覚悟しているものの、視界が阻まれるほどの降雪には閉口。しかし、検定は予定通り行われ、その時の気候や気温、雪面に適応した滑走ができるかどうかが問われます。
ちなみに、当時の検定種目は、プルークボーゲン、シュテムターン、斜滑降、直滑降、パラレル、ジャンプ、総合滑降、指導法など11種目。各種目平均70点以上が合格。
検定は年齢やスキー歴、役職などは一切関係なく、本番の学科、実技の検定結果により判定されます。検定員は各県より派遣されており、公平さを担保しています。
目まぐるしい程に展開された検定会が終わり、翌朝の結果発表を待つのみになって、前年夏から始まった手続きや講習会、実技講習(2回)、自主講習などを経て本番に臨みました。高齢と技術的劣勢とが相俟って心身ともに疲れたのですが、あとは翌日の合格発表を待つのみという心境になっていました。
そもそもこの検定に挑戦したわけは、翌年から後期高齢者(75歳)入りを控えていたからです。その記念に・・・と。結果は、おかげさまで「合格」でした。
長年ご指導、お付き合いくださった多くの皆さんのおかげに他なりません。ありがとうございました。合格証を手にして感謝の念のみが心を支配していました。もちろん、今も・・・。
プルークボーゲン
スキー技術のすべてが集約されている種目で、スピード、目線、肩の力、両腕の位置、腰、膝、足首などが走行に適切かなどを3人の検定員によって採点されます。最もごまかしができない種目です。
基礎パラレルターン(緩斜面4回転)
やや閉脚気味の上、腰が引けているので減点?
急斜面 パラレルターン
かくして検定は終了、疲れました!
北海道で第二の人生を送る同級生
中学時代の同級生M子さんは、北海道道南の酪農農家でご主人と苦楽を共にしながら50有余年、乳牛の飼育に勤しむ日々を送りました。広い牧草地と比較的温暖な気候にも恵まれて、家業は順調に進展し大成功。6人の子どもを育てながら家業と家庭の両立に努め、今ではお孫さんは11人、間もなく12人目が誕生するとのことです。
数年前、高齢と労働力不足により家業を継続することが困難になり、酪農家業を断念しました。以来夫婦でのんびりした生活を送ってきましたが、昨年8月、ご主人が急逝するという悲運に遭遇することになりました。
M子さんは家業と子育てを両立させ、いい人生を歩んできました。子どもたちは誕生祝いや旅行のお土産を届けてくれたり、親孝行をしているとのことです。それがとてもうれしく、元気の元になっているようです。ご主人と一緒にこの喜びをもっともっと分かち合いたかったに違いありません。
M子さん宅の眼下には太平洋が広がり、JR根室本線が走っています。根室本線は滝川駅〜根室駅間308.4kmと、普通列車では日本一の長距離で、8時間19分で走破します。また、駅間の最長は、野花南〜富良野駅間の19.4kmです。いずれも北海道ならではの地理を物語っています。
この度、M子さんを通して、北海道は広大な面積と豊かな自然、独特の歴史や文化を有していることを再認識しました。M子さんは縁があって北海道が第二の故郷となり、たくさんの子どもさん、お孫さんに恵まれており、ますます長寿を全うしてもらいたと思います。
きょうの東京郊外の空 2題
物価、やや高めのわが街
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
平安時代(794〜1185)前期、天皇や上皇の命令により編集された勅撰和歌集(古今和歌集)の一句。現代文で解釈しますと、(立秋の日になっても)秋が来たとはっきりと目には見えないけれど、風の音で、(秋の到来に)はっと気づきました、と読み取れます。1000年も前の今頃に詠われたもので、温暖化の今の我が国では10月以降に相当しそうです。
9月初日のきょうの関東地方は29℃で、空の雲もやや高く初秋を思わせる1日でした。午後、近くの大型スーパーへ買い物に行ってきました。後学のためにきょうの物価を記載しておきます。 *消費税別
メグミルク 228円 キャベツ1/2 128 TVモヤシ 36
豚肉超薄切り 498 きゅうり 58 薬味ねぎ(大袋) 198
オクラ 128 バナナ 198 五ツ星トンカツ(ロース) 338
ほんの一部の品で、しかも地域性もあり一概には比較できないと思いますが、参考までに紹介させていただきました。やや物価高の感がします。
折しも、先月28日、安倍首相は健康問題を理由に退陣することになりました。後任は自民党員だけによる選挙で決めるとのことです。すでに本命と目される候補が決まり、今月中旬には新総理大臣が誕生するとのことです。
国民は日々生活しているので、取りわけ物価のことが気がかりです。にもかかわらず物価に限らず、政治、経済、教育等についてはどうなるのか不明のままです。野党は「消費税0%」にすると言っていますが、自民党一強には抗しきれません。
せめて、日常の物価や消費税についてはもっともっと配慮して、国民の暮らしに潤いを与える政治であって欲しい。
9月を迎えましたが、まだまだ暑い日が続きそうです。「健康第一」を最優先して、まずは残暑をやり過ごしたいと思います。
少し初秋を思わせるきょうの関東地方の空 3題
久しぶりにゴルフを楽しむ!
昨日、久しぶりに地域のゴルフクラブ主催のコンペに参加しました。幸い、暑さも30℃くらいで、なんとかラウンドをこなすことができました。コロナ禍のために何ヶ月かぶりのゴルフでした。スコアは、62+48=110。千葉県内ゴルフ場。
コロナ禍はまだまだゴルフにも影響しており、受付等は室内ではマスク着用、できるだけ密にならないこと、手洗いの励行などを義務付けられています。また、食事や売店のサービスもなく、ゴルフが終わり次第解散するしかありませんでした。当分、このような事態のゴルフが展開されそうです。
何もかも「自粛」「中止」のさなか、それでも「できることはやろう」という仲間がいて、この度ゴルフを楽しむことに。プレー中はコロナ禍のことは忘れたかのようにゴルフに集中、精神的にもたいへん健康的でした。
ゴルフ場の話では、ゴルフは6月から再開したものの、やはりコロナ禍の影響で利用者は例年よりかなり少ないとのことでした。もちろん、猛暑も影響しているようです。
コロナ禍はいつ終息するのか、いつになったら老後の楽しみの一つ、ゴルフをのんびりとやれるのか、誰も予測できずにいます。人類中心の生き方、考え方に対する自然界の「鉄槌」と謙虚に受け止め、自然との共生のあり方を考えねばなりませんね。私自身、そのために何ができるか、じっくりと考えたい!
コロナ禍の最中ですが、スナップをご覧いただき少しでも暑さをしのいで頂ければ幸いで〜す!
この日のメンバー(60代の若さが羨ましい)
河川のコースだけど緑がいっぱい
暑さを忘れて!最終18ホール第2打のSさん
さらに平和志向を前面に!
終戦から75年の節目の一昨日(15日)、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われました。参列者はコロナ禍により過去最少の540人となりましたが、戦没者約310万人を悼み、平和への誓いを新たにしました。
天皇陛下は「おことば」で昨年同様に「深い反省」を盛り込み、「再び戦争の惨禍が繰り返えされぬこと」を切に願うと述べました。コロナ禍についても公の場で初めて言及され「私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べられた。
戦争を体験した戦前生まれの世代は減り続け、昨年10月時点で総人口の約15%に。今次参列した遺族の最高齢者は93歳の男性で「私の年齢ではこれが最後かもしれない。元気に長生きしていると戦死した兄に伝えたい」との思いで参列しています。
我が家では父が終戦前年の昭和19年11月、ハルマヘラ島(インドネシア共和國)で戦死しました。当時、日本は全く劣勢で、食料品も医薬品もなく餓死する兵士がたくさんいました。父もその一人で、たまたま同じ市内出身の軍医はいたのですが薬も全くなく、看取られながら戦死しました。
戦後75年経った今でも悔しさや悲しみに苛まれているたくさんの遺族がいることを再認識したい。国民は幸い平和志向が圧倒的でこの思想、流れを前面に掲げていくことで戦没者の御霊に応えていきたい。
8月13日朝 旧盆お盆の菩提寺
菩提寺では戦死した父(37歳没)と母(99歳没)が永眠
コロナ禍の後、どう生きる
8月に入るや否や猛暑に見舞われている日本列島。ここ関東地域も連日30℃以上の暑さが続いています。その上、コロナ禍が収まる気配もなく試練の日々がまだまだ続きそうです。
散歩を兼ねて自宅周辺を歩き、学校や神社等を訪ねました。きょうはそのレポートをします。
8月3日から夏休みに入った中学校。日直の先生方が校舎を点検していました。コロナ禍の影響で2週間遅れで1学期が終わったところですが、子どもたちの学習の遅れが気がかりです。
その中学校の近くにある神社の入口。平日とはいえやはり訪れる人は少なく、ここでもコロナ禍の影響を受けています。
これは大型スーパーマーケットの食品売り場です。夕方5時頃なのに来客は少なく寂しい感じでした。我が家では日常ここで食料や衣料品等を購入しています。
スーパーマーケットのレジ付近です。ご覧の通り閑散としています。土曜日、夕刻なのでこのあと買い物客は増えるはずですが、ここでもコロナ禍に悩まされています。
地元の中学校、神社、スーパーマーケットなどを歩いて訪ねましたが、すべてがコロナ禍の影響を直に受けていることを実感しました。そして、人類がこの試練を耐え抜いて、その先をどう生きていくべきか、という避けては通れない大きな課題を再認識させられました。