読書アラカルト(12)「三千枚の金貨」上・下  宮本 輝著

 著者の宮本輝(1947年生まれ)は、’77年「泥の河」で太宰治賞、’78年「蛍川」で芥川賞、’87年「優駿」で吉川英治賞等を受賞。その他に、「オレンジの壷」上下、「異国の窓から」「森のなかの海」上下、「葡萄と郷愁」などヨーロッパやアジア大陸を舞台にスケールの大きい純文学小説を多数著している。

三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

 シルクロード天山山脈やゴビ灘の乾河道の旅から帰ってきた斉木光生は、その道中に、5年前に入院したときある末期ガンの患者から聞いた不思議な話が蘇り、気になって仕方なかった。その話とは・・・「和歌山県の山にあるきれいな花を咲かせる桜の巨木の根元に三千枚の金貨を埋めた。見つけたらあんたにあげるよ」という何とも奇妙な話だった。その患者とは初対面であった。
 光生は帰国すると、会社の仲間の宇津木、川岸らにこの話をしたが、なぜ、総額1億円もするという大金の隠し場所を見ず知らずの男・光生に話したのか。仮に、事実だとしてその金貨は盗んだものではないと本人は言っているが本当か。そして、「和歌山県にある山の桜の木」の根元というだけで場所を特定できるのか、など謎に包まれる。
 患者の名前は芹沢由郎、54歳。セリザワ・ファイナンス社員。由郎の出自は複雑で、私生児として生まれ5回も育ての親が変わり、幼い時にかなり激しい虐待を受けて育った。それでも、由郎は勉学に励み、学校の成績は優秀だった。後に、由郎は京都大学を卒業して、父親が経営する会社へ就職し、気遣いや思いやりのある青年と評価された。しかし、父親は会社を由郎の弟に任せることにした。由郎は間もなく世を去った。
 光生や川岸も母子家庭で、あるいは養子として叔父に預けられ「見捨てられ不安」を経験しているので、由郎の半生に衝撃を受け同情するとともに、彼と金貨埋蔵の謎は不明のまま、和歌山に出向いては金貨探しに躍起になっていた。
 遂に、桜の木の場所を特定するに至った。しかし、光生は仲間と「20年間はそのままにしておこう」という約束を取り交わした。それでも謎解きだけは相変わらず続く。
 光生は「幼児期に暴力を受け続けた人間は、その心の中にすさまじい怒りを溜め込んでいく。暴力を与えた相手への怒りではなく、恐怖、不安、見捨てられ不安、悲しさ、寂しさ、悔しさ、絶望、自信のなさ、喪失感といった種々の屈折は、ある瞬間に、ある縁によって強い憎悪を伴った怒りとなって表出する」とし、由郎は己のなかの怒りと戦い続けた人生だったのではないか、と分析。
 さらに、由郎がこの桜の木の下に埋めたのは、金貨ではなく、内なる怒りだ。ふと気を許せば、些細な縁によって暴れだしかねない己が生命に深く刻まれた怒りを、なだめ、鎮めるための、いわば心の代替措置だったのだ・・・と推理した。
 「20年待つのも大変だ」という仲間に対し、光生は「シルクロードの、天山山脈のなかの、誰もいない道に立ってみろ。ゴビ灘の乾河道の底に立ってみろ。20年どころか、百年だって一瞬に思えるぞ」と言い、「俺たち、20年の間に、それぞれが金貨以上のものを得るって気がする」と言い聞かせた。

 
 物語は、金貨探しを縦軸にし、時代は光生らの親、祖父が過ごした戦前から現代、また、舞台は親や由郎が転々とした和歌山(御坊、湯浅)、京都、福井(武生)、東京など。そして、光生のシルクロードの旅が加わりスケールがさらに拡大。乾河道の底に立って、500年前、1000年前の溢れる大河の水を見ようとしたり、轟々たる水音を聞こうとすることが今生きることであり、その知恵を育んでくれると物語は教示している。
 そして、今や大きく社会問題化している「いじめ」や「虐待」「ネグレクト」が時代を超え、地域を問わず存在していたことを認めて、それらがいかに人間の尊厳を貶めているかを訴えている。
 金貨探しは未解決であるが、主人公の光生はじめ仲間たちは由郎の人生と自らのそれをダブらせ、これから少なくとも20年の間に互いにもっともっと成長しようと気持ちが何よりの収穫となった。

 出版、光文社。定価、上・下ともに619円+税。2013年1月20日初版1冊発行。