喜寿祝・同級会〜その後

 7月に中学校時代の同級会が郷里であったが、存命62人中、26人が出席(42%)した。この時機(喜寿祝)で、出席者が多いと見るべきか、少ないと見るべきか? それはともかく、今回、幹事会で「欠席者全員にも同級会の様子を知らせよう」ということになり、B4にたくさんのスナップ写真を載せ、同級生一人ひとりに名前も付けた。同級会返信用はがきに記されてきた「近況」等と住所録も送った。
 反響は大きかった。たくさんの電話や手紙をもらった。K子さんは「欠席したのに、いろいろと送っていただき、うれしくてうれしくて・・・」と涙ぐむ。「脚力が衰え、とても郷里には行けなかった」という。「でも、3年後の傘寿祝には行けるようにしたい」と、自らを鼓舞していた。「ぜひとも、会いたいね・・・」
 C子さん「私ね、膠原病が悪化してパーキンソン病に罹り、全く歩けなくなり今は車椅子生活で、夫に世話になっています。元気な同級生の写真を見て、羨ましく思います。と同時に、元気ももらいました。この先も遠くへ出掛けることはできないけど、また、同級生の様子を知らせて下さい。パーキンソン病は力が入らなくなったりしてとても大変、でも、頑張ります」。辛い病状なのに電話を掛けてくれたことに感銘。彼女は中学時代は陸上部でリレーの選手だった。
 さらに驚愕したのはT男さんの奥さんからの手紙であった。「写真とおたより、ありがとうございました。主人は抗がん剤と戦って10年6ヶ月、その日まで元気で、釣りの帰りにころんで足首を骨折、手術は成功し退院しました。しかし、その3日後に死亡しました。27年6月29日 75歳。病院の先生からは『ころんだら命取りになるからころばないように』と言われていました。本当でした。長い間、年賀状、おたより、いろいろとありがとうございました」
 同級会の案内は毎回全員に出しているが、彼はこのところ顔を出していないせいか、彼の死を誰も知らなかった。奥さんはご主人に届いた写真などを見てわざわざ手紙を書いて下さった。真にやさしい奥様だ。洋服の仕立て職人として一生涯を貫いた同級生の彼。もう一度会っておきたかったなぁ。合掌。
 まだまだ紹介したい消息がたくさんあるが、同級生の消息の与える影響が大きいことが分かった。とりわけ、「死去」の知らせは衝撃が大きい。同年ゆえ決して「人ごと」には思えないからだ。もちろん、お互いに元気でいることで、仲間を励ますことにもなる。同級生とは実に意義深い存在であることを再確認させられた。