第2次大戦はまだ終わっていない

 昨日(12月8日)は77回目の「第2次大戦開戦の日」でした。しかし、例えば、中国残留日本人孤児が未だに2818人もいます。1931年(昭和6年)の満州事変の後、旧満州国に移住した日本人の子で、終戦時の混乱で親と別れて置き去りになった人たちです。10月末現在、2557人が永住帰国し、261人が中国で暮らしています。
 永住帰国を選択していた74歳のK子さんの場合、82年6月、K子さんの母親は日本の肉親探しに参加して中国を訪れた際、娘のK子さんと市内のホテルで再会し、抱き合い、泣き崩れ、互いに言葉が出ませんでした。母親は故郷で撮った自分の写真や日中の会話辞典を娘にくれましたが、父親については娘に何ひとつ語らないまま別れました。周囲の人の話では「戦中、旧満州で亡くなった軍人」で、母親は未婚扱いになっていたとのことです。
 K子さんは先に帰国した母親に何度も連絡を取ったのですが返事はありませんでした。2013年、K子さんは初めて日本を訪れた時、母親は亡くなっていました。K子さんは父親についての照明が得られなかったため残留孤児としての照明は得ていません。それでも、K子さんは14年に夫と死別しましたが、中国に家族を残して来日し、昨年やはり孤児のSさん(80歳)と結婚し、熊本県菊間町で一緒に暮らすことになりました。きょう、K子さんは来日し熊本での生活が始まります。
 1944年6月、サイパン南部に米軍が上陸し、日本軍は3週間で北部に追い詰められました。日本の民間人らが自決するために飛び降りた北端の崖は今でも「バンザイクリフ」と呼ばれています。私は数年前、観光でこの地を訪れ,バンザイクリフに立ち寄りましたが、あまりの高度に脚がすくみました。まさに戦争惨禍そのもので、二度と繰り返してはならないと思います。
 思うに、あの大戦の終戦から77年が経っています。確かに日本はその間戦争をしていませんが、参戦国としての反省を踏まえて、軍事費を増額するよりも、戦争をしない約束を世界各国と交わす外交をしてもらいたいと願っています。残留孤児問題はもとより民意を具現化するのが政治家の役割ではないでしょうか。