risk taker たれ

 これは、「リスク(危険、おそれ、冒険、賭け)を冒す人になれ」、という意味のようだ。若手のビジネスマンやべンチャー企業人には最も求められることであろうし、また、何のために行なうのか(return)を含め一考に値するのではないか。今の私に敢えて当てはめてみるとどういうことなのだろうか。
 直近のことを例にとると、前回の当ブログ「交友録 6月の場合」では、日程(時間)調整、体力、費用面でリスクを負うことになったが、復興支援の一環として「肉まん隊」「チャリティゴルフ」「高校同窓会」には参加すべきだったし、「昼食会」や「酒席」はしばらくぶりの再会、いわば邂逅として大切なお付き合いである。
 その他に、早くから予定していた懇親会やゴルフがあり、そこへ叔父の葬儀が飛び込んできた。それぞれ大義(return)があり、断る理由もなく、あとは体力勝負で挑んだ。お陰で、ふだんお付き合いしていただいている方との交友や旧交を温めることで、いつもより密度の濃い出会いの日々であった。ここ数年、こんな生活をしており、私なりの risk taker のつもりであるがいかに。
 現役時代、ある出版社から共著による出版を依頼され、都内の小さな旅館で仕事を終えた土曜日の夕方から翌日の夜まで原稿執筆。それが何回か続いた。勤務外の日は休養して、本務に備えるべきだが、本務外の仕事を受けたのである。この間、いろいろ調べ、仲間と議論すことで視野を広め、学識を深めることではいい刺激になった。それは長い目で見ると本務の仕事に生かされたのではないかと思う。
 又、こんなことも。39歳の時、管理職試験を受けることになった。ふだんの実績と論文・法規等の筆記試験である。ところが、そのころ全日本スキー連盟公認のスキー指導員(スキーインストラクター)の検定試験を受けることになっていた。前者は、仕事、後者は趣味。試験は前者は7月〜10月。後者は2月。仕事の方が合格したらスキーを、と考えるのが普通。しかし、私は二またをかけて、それぞれ合格した。スキーのことは誰にも内緒で臨んだもののやはり体力勝負であった。
 とかく、仕事もふだんの生活もリスクを負うのは避けたいと思うのが普通である。リスクの責任や言い訳をしなければならないし、信用に関わる場合もある。でも、上司がいつもそうだと部下はあまり大きな仕事はできないのでつまらないだろうし、部下は育たない。明らかなリスクはともかく、ぎりぎりのリスクは求めていいのではないか。その人の度量の問題になるのかな。
 再び自分自身のことに。この年齢になって「risk takerになれ」と言われたらどう応えるべきか。ここ1、2年は今を継続する中で、もう少し日程調整して中身の濃い risk taker にと思う。といっても大体は遊びの世界でいかに多くの仲間と出会っていくか、ということ。スキーに関しては体力と技術を維持していくのが課題であり、それによっては危険そのもののリスクを負うことになるので毎年緊張しながら挑戦していくことになる。
 私なぞ、とても risk taker などと言える者ではないが、私なりにそんな気持ちを大切にしながら、生活スタイルを変えたり、おしゃれ?をしたりして健康・交友・知的刺激を求めつつ、年齢以上に老化現象が生じないようにしていきたい。そういえば、今日は誕生日だ。